なりたい仕事のことを知る ナリカタ

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一人でも多くの人に、より良い生活を。インドネシアで義肢装具の普及と人材育成に貢献

森本 哲平さん義肢装具士/講師(インドネシア ジャカルタ義肢装具学校 勤務)

  • インタビュー内容・勤務先等は取材当時の情報となります

人の役に立てるモノづくり」、それが義肢装具士という仕事

小学生の頃、実家に近い兵庫県立総合リハビリテーションセンターで、ベトナムからやってきた結合双生児、グエン・ドクさん(※1)に義足がつくられたことをニュースで知り、「義肢」というものに関心を持ちました。
その後、中学3年生の夏、父が椎間板ヘルニアで入院。そこで、男性の方がメジャーで父の体を計っていたんです。その時は何をしているかわからなかったのですが、数日後コルセットが出来上がってきた時、初めて「義肢装具士」という仕事を知りました。
「人の役に立てるモノづくりっていいなあ」という思いと同時に、「義肢装具士」という職業に具体的に興味を持ったのもこの時。そして高校1年生の夏休み、兵庫県立総合リハビリテーションセンターに出かけ、ドクさんの義足を作った義肢装具士さんから直接いろんな話を聞き、関心を深めていきました。 また、ちょうどその年に関西初の義肢装具士養成校「神戸医療福祉専門学校三田校 義肢装具士科」が開校したので、見学に行き、入学を決意しました。

※1 グエン・ドク氏・・・下半身がつながった結合双生児としてベトナムで産まれた双子の兄弟。通称「ベトちゃんドクちゃん」で知られ、兄はグエン・ベト氏

「海外で働きたい」という夢を叶え、インドネシアの義肢装具士養成学校のMain Lecturerへ

専門学校での3年間は無我夢中で、医療のことはもちろん、コミュニケーションの大切さを学びました。クラスメイトには社会人の人や年上の人がたくさんいて、本当にいい経験、社会勉強をさせてもらったと思います。 「海外で働きたい」という気持ちがずっとあったので、卒業後は、オーストラリアの国立ラトローブ大学に進学。日本の義肢装具技術のレベルの高さと同時に、海外における義肢装具士の制度やシステムの違い、医療行為の幅の違いを知りました。 現在は、JSPO(Jakarta School of Prosthetics and Orthotics ※2)1期生のMain Lecturerとして、専門教科すべての講義を行うとともに、実習で使う材料の調達や管理をしたり、デモンストレーション等も担当しています。 また時間の許す限り、義肢や装具を必要としている患者さん達に直接JSPOへ来ていただき、カウンセリングや義肢装具の提供を行っています。

※2 JSPO(Jakarta School of Prosthetics and Orthotics)・・・2009年に開校した、インドネシア初の国際基準の義肢装具士養成校。日本財団とThe Cambodia Trust(イギリスNGO団体)のサポートを受け、義肢装具士を養成している

義肢装具を必要とする一人でも多くの人に、よりよい生活を楽しんでもらえるように。

JSPOは、開校してまだ1年半。後進国にはまだまだ偏見の目も残っていますし、義肢装具のことすら知らない、または買えない、そしてそういう医療制度が整っていないなど、まだまだ多くの課題を乗り越えていかなければなりません。そのたくさんの課題を他のスタッフと一緒に一つずつ解決していき、義肢装具を一人でも多くの人に提供できるよう、その基礎を築くことが今の一番の目標です。
自分一人の力では小さなことしかできないかもしれませんが、今教えている学生達が卒業し経験を積んで、またその経験を新たな学生達に伝えていくことで、義肢装具の必要性、重要性がこの国で大きく広がって行く、その初めの一歩に携わり結果を残すことが大切と思っています。
この仕事は、大変なこともたくさんあります。でも、自分の制作したものを必要としている方が使用した時、結果の良し悪し、そして喜んだ顔がすぐに見える、その醍醐味と緊張感の狭間で仕事ができる、やりがいのある仕事の一つだと思います。
将来的には、インドネシアに限らず、義肢装具を必要としている人や障害を持った方々により良い生活を提供できるサポーターとして、またその人材養成に携わる一人として、自分の知識や学んだ経験を活かしていきたいですね。