なりたい仕事のことを知る ナリカタ

  • ナリカタコラム
患者さんの回復に寄り添って歩んで行ける、
素晴らしい仕事だと実感しています

大壷歩美さん言語聴覚士 (医療法人社団 圭春会 小張総合病院 勤務)

  • インタビュー内容・勤務先等は取材当時の情報となります

中学生時代の友達への思いから言語聴覚士へ

写真:小林博子さん

中学生のときにクラスに耳の聞こえづらい友達がいました。聞こえづらいということでコミュニケーションがとりにくい状況で、その友達が学校に来るのがいやになってしまったということがありました。そのときに何もできなかったことが、ずっと心の中にひっかかっていました。それで高校を選ぶときにも、福祉を学べる高校に進みました。学校で手話の勉強をしているうちに、言語聴覚士という仕事を知って、この仕事であれば難聴の方や耳の聞こえにくいかたの手助けや援助ができるのではないかと思いました。この仕事を知る前は、保育士や介護福祉士というメジャーな仕事を考えていましたが、いろいろと調べたり、授業の中でリハビリ系の職種や社会福祉士などを知る中で、言語聴覚士を選びました。言葉や聞こえ、人とのコミュニケーション。私自身が人とのコミュニケーションが得意ではないところで、何か一緒に共有できるものがあるのではないかという思いも込めて目指しました。

3年制と寮のサポートが学校選びの決め手でした

写真:小林博子さん

進路として大学を考えたり、実家のある長野に4年制の専門学校や、東京医薬専門学校を検討しました。3年制で、1年でも早く仕事をしたいと思っていたこと、どちらにしても実家からは通えない距離でしたので、寮、住む所でもサポートしてくれ東京医薬専門学校を選びました。両親は最初は家を出ることに反対でした。家から通える保育士さんになりなさいと言われたんですが、自分の好きなことでないと一生続けられないと思いましたから。国家試験の合格率がよいこと、長く続いている学校でしたし、寮があるというところで最終的には許してもらえました。
ドキドキしながら、東京に出てきました。不安でしたね。いざ、目指すとなったものの、本当になれるかとか、勉強についていけるかというのも不安があったのは今でも覚えていますね。 入る前に在校生の方のお話をお聞きできたのは良かったですね。入ったときも何とかついていけるぞと。授業で絶対寝ないと(笑)。
国家試験前に勉強を詰め込みの状態でも、同じ目標を目指して頑張っている友達と励まし合いながらやってこれたり、授業の中でも同じ目標があるという中で目指してこれたことが大きかったです。世代も30代の方もいらっしゃって社会のお話も伺え、同年代だけでなかったことが今となっては刺激になって良かったなと思います。

こどもの聴こえという仕事にこだわった就職

3年生の実習が終わってから本格的に就職活動を始めましたが、ご縁のない状態で12月にこの病院の募集を見つけました。非常勤の募集だったのですが、それでもやりたい、好きなことでないと続けられないと思いました。言語聴覚士を目指し、その中でも聞こえの仕事をやりたいと思ってきたので、それを追いかけました。成人の患者さんだと様々なところから求人が来ていたんですが、私が目指していた子供、それも聴こえとなると,本当に限られますね。就職してから常勤職員になれて結果的には良かったです。 言語聴覚士の仕事は、難聴のお子さんのことばの数を増やしたり、お母様を援助したり。難聴のお子さん以外にも、ことばがゆっくりのお子さんなどもいらしているので、お子さんにあったリハビリをします。ことばのリハビリで担当させいただいているのが、2歳から中学3年生まで。2歳のお子様は遊んでいる中で声かけをしてもらったりしています。毎日の仕事は、医師が来る日は聴力検査をしたり、診察の補助をしています。また、診察時間などの予約などの事務作業もします。診察のない日は、朝から夕方までことばのリハビリ、また、ABRという聴こえの検査をしています。
仕事の中で、まだまだだからもっともっと勉強して知識と技術を身につけなきゃと思う反面、お子さんの伸びが見られたり、「ありがとう」という言葉をもらえたりするときは、心がほっとして、もっと頑張ろうという気持ちになりますね。日々の繰り返しの中で、これじゃダメだと思うことも多いんですが、患者さんの笑顔や、仕事を始めて1年半くらいではあるんですが、来られている方が少しでも表情が落ち着いて来たり、それに寄り添って歩んで行けるのはすごくいい仕事だなと思います。

聴覚障害について知ってもらう啓蒙活動をしていきたい

仕事では、いろいろな視点から物事を見られるように心がけています。いろいろな情報を集めて、自分の中に蓄えて、それをお話できるようにとか、業務内容以外の雑談などのなかでも、お母さんの方が育児をしていらして経験は豊富ですが、そういうところに少しでも近づいて、お話しながら信頼関係を気づけるように。言語聴覚士以外のところでも、知識、智恵をつけていきたいと思います。テレビで育児の番組をやっていたら見たり、以前見なかったNHKを見たり(笑)。すぐにはいらないだろうなということでも、知識を蓄えて行こうと思うようになりました。
学校の頃でも関係職種の人とのコミュニケーションは大切だと言われてきたんですが、大切なんだなというのはわかっていつつも、いざ職場に出てどう大切だというのが身にしみることが多いですね。報告、連絡、相談。自分の判断だけで動かず、何でもでも報告したり、相談したりするようになりました 。
1年目は、目の前の仕事に精一杯だったので、2年目になってもっと心にゆとりを持って、お母様がお子様に気持ちを持って接することができるようなアドバイスや,援助方法を伝えていければいいなと思います。教育現場で聴覚障害というのは、見えないと障害と言われていますが、本当に見えないというのを痛感しています。もっともっと多くの人に知ってもらい「聴こえない」「聴こえにくい」ことに困っているというのをわかってもらえるような啓蒙活動をしていけたらいいなと思っています。