なりたい仕事のことを知る ナリカタ

  • ナリカタコラム
その方にとって、一番いい方向に一緒に歩み寄って進んで行く過程にやりがいを感じます

酒井 章仁さん施設長 (社会福祉法人アムネかつしか 地域活動支援センター コパン)

  • インタビュー内容・勤務先等は取材当時の情報となります

家族の病気がきっかけで、勉強しようと決心

大学を出てから東京を離れて、岐阜と山梨で林業の仕事をしていました。木の伐採や木を育てる植林も行っていました。もともと自然が好きだったのはありますが、人とは違う仕事がしたいと思って飛び込んで、7年ほど働いていました。しかし、精神疾患を患っている母の体調が悪化して、入退院を3回ほど繰り返し、実家に帰ることが多くなりました。それがきっかけでもう1度勉強したいと思ったんです。母は私が小学校のときに発病して20年以上、家族としては病気に対する偏見や家族が抱えている問題、またこういう病気があるということを広く知ってほしいという気持ちが沸き、インターネットで調べるなかで精神保健福祉士という仕事を知りました。でも、学校に行く決心をするまで1年ほど悩みました。林業の仕事も誇りを持ってやっていましたから。そういうなかで母の体調が悪化して、やってみようと決心したんです。東京福祉専門学校を選んだのは、合格率が高かったことと、学校に最初に行ったときに先生が親身になって話を聞いてくださり、第一印象がよかったから。あと、家から近いというのもありましたが。社会人をしていましたから、勉強する機会から離れていましたし、できるだろうかという不安はありました。また、資格取得に3〜4年もかかるんだったら抵抗があったかもしれませんが、1年で資格がとれるというのは大きかったですね。この1年は資格をとることだけに集中しようと決めました。

学生時代のボランティアで地域活動センターの存在を知った

学校には熱心な先生が多く、クラスメイトとも仲良くなって一緒に勉強もしました。学校の近くにある、現在の職場と同じ地域活動支援センターでボランティアも経験しました。もともと就職は病院志望でした。患者の家族として病院に行くことが多かったので、そこで何か力になりたいと思っていました。それに病院の相談員の方に助けられて救われたことも多かったですから。福祉の知識もなかったので、地域活動センターというものがあること自体を知りませんでした。しかし、ボランティアを通して、生活者として本人の希望だったり課題だったりを、一緒に考えて進んでいけるというのはセンターの特色だと知りました。また利用者は18歳~70代と利用されている方は幅広く、とても勉強になりました。就職前にはこの社会福祉法人と病院で実習を体験しました。当初の思いもあったので悩みましたが、実習がきっかけで声をかけていただいて地域活動センターに就職しました。国家試験は、前日までダメかなと思っていました。ただ学校で小テストや実力テスト、模擬テストも定期的にあったので、自分が今何処くらいにいるのかが把握できたので、徐々に自信というか、何とかなるかなという思いもありました。

センターは第2の家庭、入りやすい雰囲気作りも大切な仕事

地域活動センターというのは地域の受け皿的存在。長期で入院していた患者さまや、なかなか自宅からでてこられない方などが外にでるキッカケとして、まずは居場所としてフリースペースを提供したり、病院などでもやっているデイケアのプログラムを行っています。それが主な業務のひとつで、センター事業と言います。また、相談支援事業は、日常生活全般のご相談をこの施設が受付けていて、必要に応じて手帳の申請や、障害年金の申請をするために書類を一緒に作ったり、体調の悪い方は一緒に病院の受診に同行したり、その方の目的にあわせて関係機関に集まって支援会議を開いて、利用者をバックアップしていくなど、仕事内容は多岐にわたりますね。電話相談も受けています。だんだん施設の利用者も増えてきて、最近は特に20代、30代の若い方の利用が増え、施設の雰囲気が明るくて、笑い声も絶えないです。元々私が入った時から、この地域支援センターは第2の家庭、その方の居場所というか、そこまでではないにしても、入りやすい雰囲気作り、キッカケ作りは職員の大切な仕事のひとつだと思います。精神疾患の特徴でもあると思うんですが、時間はすごくかかると思うんです。ゆっくり話し合いを重ねながら、ご本人にとって一番いい方向に進んでいく時、一緒に歩み寄ってやっていく過程はとてもやりがいを感じます。現場レベルでは利用者の方と関わりながら生活の支援をしていく仕事がメインですが、施設長という立場なので、管理業務全般、人事的な仕事もあります。相談業務の法改正があり、事業も新しく変えていくときなので、体制を組んで仕事がうまく回るようにしていかなくてはなりません。今は事業についても、自分自身が勉強していかなくては、というところです。優しいワーカーというよりは、何かあったときにこの人ならばと思われる、信頼される存在になることが目標。それは5年後、10年後、いつになるかわかりませんが、そうなれたらいいなと思っています。