なりたい仕事のことを知る ナリカタ

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社会人を経験し、23歳で見つけた保育への夢一生覚えていて、もらえる先生を目指したい

中島 はるかさん幼稚園経論/保育士(学校法人聖トマ学園 聖母幼稚園 勤務)

  • インタビュー内容・勤務先等は取材当時の情報となります

1年の社会人経験を経て、保育の道へ

高校生のときには、この仕事には全く関心がなく、子どもと接する機会もほとんどありませんでしたし、自分とは関係ない仕事だと思っていました。ただ、母が保育士なので、仕事の話は聞いていましたが。その頃興味があったのが、犯罪心理学。その勉強をしたいと思い、大学の法学部に目標を絞っていました。そして大学へ進み、卒業後には一般企業の営業の仕事に就きました。会社では学ぶことが多くありましたが、このままでいいのかと考えて、1年で退職しようかと悩んでいました。母に相談したところ、「今までと違うところに目線を置いてみたら?」とアドバイスをもらいました。そのときに、これまでの自分とは遠いところにあった『子ども』、そして『保育園』が思い浮かんだんです。そこで、「お手伝いに行ってもいいですか」と自分から保育園に電話をし、ボランティアに伺いました。それが、行ってみたらすごく楽しくて…。我を忘れて本気になって遊んだり、一緒に子どもと関わるなかで、将来的に保育士になれたらいいなと思ったんです。その時、私は23歳。のんびりしている暇はないから、資格を自分で勉強してとろうとも考えたんですが、私は自分にすごく甘い性格なので、学校に通って資格をとることに決めました。金銭面や既卒ということもあり、親には多分反対されるだろうなと思っていたんですが、話したら逆にすごく感動してくれたんです。母は自分と同じ職業になりたいと私が思ったことを大変喜んでくれました。

東京福祉の現場で使える実践的な授業が役立っています

学校に通うことについては、金銭面がとても大変でした。大学4年間も奨学金で通いましたので、その返済もありますし、次に専門学校でそれがが重なるんですが、夢を叶え、頑張って働こうと思い、奨学金で通うことを決心しました。東京福祉専門学校を選んだのは、体験授業のクラスがすごく楽しかったから。私はピアノが苦手なんですが、東京福祉の体験授業を受けてみたら、苦手なピアノもここならば頑張れると思ったんです。また、高校既卒の入学者も多いと聞いたので、それが心強く、学校選択の決め手でした。私は、小学校、中学校、高校、大学、専門学校と5つの学校に行きましたが、専門学校が一番充実していました。1年のときの授業やテストはすごく大変でしたが、自分の興味がある内容だったから学ぶことが楽しくて。クラスの友達と一緒にいる時間、先生方といろいろな話をすることも楽しかったです。特に授業では、苦手だったピアノと、実習前の授業が一番印象深いです。それは、カラダを動かす授業。現場に入ってみてわかるんですが、子どもたちを振り向かせるには、しゃべるだけでは子どもたちは向いてくれないんですよ。何か一つカラダの動きで注目を集めることが出来たら、そのまま子どもたちの気を引かせることができるんです。東京福祉は、そういった現場で使える実践的な内容の授業が多く、これが仕事に役立っています。

系列の幼稚園での実習がきっかけで就職

学校の幼稚園実習で、今働いている幼稚園の系列の幼稚園に行かせてもらったときに、すごく楽しかったんです。ここで働きたいと思いはじめた頃に、園長先生から、この幼稚園ではないけれど法人で今年求人を出すから受けてみたら?と声をかけていただき、採用が決まりました。仕事は、朝8時15分から4時45分までです。子どもたちは9時15分ころに来るので、その前に会議があり、掃除をしたり、部屋の準備をします。子どもたちが帰るのが午後2時。子どもが帰ったあとは、部屋の掃除をして日誌を書く。その後は連絡帳を書いたり、クラスの業務をしてというのが、1日の流れ。普段は6時前後に仕事が終わりますが、今は発表会の準備があるので、8時過ぎくらいまで仕事をしています。学年担当では年中さんを担当し、発表会が近いので練習をしているところです。何とか間に合わせなければという気持ちで、子どもたちを、ほめてほめて、ほめてほめて。それでも、自分が焦ってしまって上手くいかない。焦りが伝わってしまうので、本当は焦らずに子どもの気持ちをくんで練習しなければならないのですが、1年目なので余裕がないんです。それでも、一緒に組んでいる先生が主任の先生なので、先生から毎日勉強させていただいていています。その先生は見て覚えなさい、見てやってみなさいという先生。先生方の動きを見て、実際にやってみる。今は、その繰り返し、毎日が勉強です。

子どもたちとのやりとりが、毎日を頑張る糧になる

こんな毎日でも、自分なりに成長したと思えることもあります。最初は、4歳だからこれ、5歳だからこれが出来なきゃいけないという年齢に応じた固定観念があったんですが、今はそういうことを考えずに、その子のペースで見てあげられるようになりました。子どもと一緒に覚えていく気持ちがあれば、何歳だから何が出来ないといけないという気持ちは必要ないと思いました。少し余裕が出来たのかもしれません。一緒に毎日成長していますね。最近は子どもたちから「中島先生」って声をかけてくれるものうれしいですし、「家で似顔絵描いて来たよ」などと、家に帰っても思い出してもらえるのもうれしいです。また、避難訓練の時に、4歳の子どもが「先生、大丈夫だよ。僕が守ってあげるから」と言ってくれたんです。もう、うれしくて。そんな子どもとの一つひとつのやり取りが、毎日を頑張っていける糧になっています。目標はたくさんあります。先輩方は保育に余裕があるんです。常に笑顔でどんなことが起きてもあわてずに、落ち着いていられる。まずはそんな先輩方のように一人前になることが目標です。また、子どもたちにずっと覚えていてもらえる先生になりたいです。幼稚園に中島先生っていたよねと、話に出てくるような先生になりたい。中島先生といるとワクワクする、中島先生と一緒にいると楽しいことがたくさん出来ると言ってもらえるような先生になりたいです。